こんにちは。よもぎです。
ADHDの中には、二次障害で苦しむ人が多くいらっしゃると思います。私自身も二次障害に長年苦しんできましたが、ここ数年でようやく脱しようとしています。
そこで、何回かに分けて私のこれまでの体験をありのままに書こうと思い立ちました。今が辛い方、お若い当事者の方、保護者や支援者の方に、何か一つの希望を伝えられたらいいな、という思いです。
ひたすら暗くて痛い(いろんな意味で)記事になりそうですが、今の私はご存知の通り五体満足で元気に過ごしておりますので、どうぞ安心して読み進めてください。
二次障害の問題について
はじめにお伝えしておきたいのは、二次障害の『二面性』についてです。精神的な疾患には『主観的に見た状況』と『客観的に見た事実』の二面性があります。
主観的に見ると、精神疾患というのは当事者が一番つらく一番苦しいものだと私は考えています。ですが、客観的に見ると、それが取るに足らないことであったり、周りにかける迷惑の問題の方が大きかったりします。
メンタルを病んでいる時によく耳にした励ましに、以下のようなものがあります。
「あなたが死にたいと言っている間に、紛争地帯で生きたい子供たちが死んでいる。あなたは恵まれているよ」
いかがですか、似たような声をかけられたことはありませんか?
この励ましはまさに『客観的に見た事実』であり、正しい情報の一つです。私は食べるものにも困らないし、五体満足だし、学校にも通っていて家族も友達もいるので、難民の子供たちより恵まれているのは明らかな事実です。
ただ当事者は『主観的に見た状況』に苦しんでいるためこれが全く響きません。
今回は、当時の私になりきって『主観的に見た状況』*1をお話しします。
二次障害の礎。日々感じるマイノリティさ
かなり幼い段階で、自分がマイノリティであると感じていました。
幼稚園くらいから、周りの子と話や興味分野が合わず、小中学生では精神年齢が一致せず話が合わなくなりました。*2
また発達障害とは関係なく、私はセクシャルマイノリティ*3なので、そのことを認識した思春期からは性についても悩むことになります。
加えて、家庭環境が少し変わっていること*4、社会と私との関係に過保護の母親が干渉してくることで、思春期以降、私は社会から隔絶されていきました。
「私や私の家は『普通』ではないんだ」「だから誰にも理解してもらえないんだ」という意識が自分に根付いていきます。そして長年をかけて「理解されたい欲求」「自己承認欲求」「普通への憧れとコンプレックス」「底なし愛情バケツモンスター」が完成したのでした。
愛着問題と自尊心低下。母子関係の問題
私の母親は過保護過干渉です。わかりやすく言えば『毒親』です。*5
母は世間体をとても気にする人で、必要以上に厳しくしつけをされました。使う言葉や、友達関係にも細かく口を出され、進学先もすべて母が決め、私の意見は通りません。
成人しても常に監視下に置かれ、門限は決まっており、外泊は許可制(基本的には許可が下りることはない)でした。それで何度も「付き合いが悪い」「いつまでも親子離れできていない」と言われ、友達の輪から外れ、人間関係がうまくいかなくなりました。
また、私自身に「やりたいこと」が生まれたとしても、母のスタンスに合わないものはことごとく反対、却下されました。母の思う通りに私が動けなかった時にはヒステリックに怒鳴られていました。これはほぼ毎日です。
前の記事でも触れましたが、「お母さんは私の気持ちなんてどうでもいいのかな、私が嫌いなのかな」という疑念に苛まれて育ちました。
こういう経緯から、愛着形成不全も疑っています。
母の呪いの言葉、底なし愛情バケツ
思春期の母とのバトルの中で、強烈に残る記憶があります。
当時中学生だった私は、ありがちな友達同士のトラブルに巻き込まれていました。「なんでこんな事でトラブルに巻き込まれるのか?」から始まり、これまで感じていた違和感に耐えられなくなって「精神科に連れて行ってほしい、生きるのがつらい」とすがる思いで母に訴えたのです。
母は精神疾患を認めないタイプの人なので、「あなたが精神疾患にかかるわけない」と訴えはアッサリ却下されました。それでも食い下がる私に、母が放った言葉は「やめてよ、あなた頭が狂っているんじゃないの」でした。
そうだよ、お母さん、だから怖くて助けて欲しいのに、なぜ拒絶するの?と思ったけど、言わなかった。
幼い頃から感じていた「困り感の原因は、自分が変だからでは?」という疑問が、あろう事か母親に肯定された形になったのです。どうやら私は狂っているらしい。これが私にとっての呪いの言葉になりました。14歳の時です。
それ以来、母を信じられなくなり、憎み、恨み、一線を引いて暮らします。でもまだ子供だった私は母の愛情にも飢えており、文字通り愛憎にとらわれ依存していきます。そうしていつしか、底なし愛情バケツモンスターになっていたのでした。
問題の人間関係トラブルの最中、信じられる人が誰もいない状況に追い込まれ、本格的な二次障害が始まります。
長くなったので今日はここまでです。次回は具体的な私の二次障害の症状について紹介いたします。
→NEXT:ADHDの私が二次障害から脱するまで(2)
本日も最後までお読みくださりありがとうございました😊