成人ADHDが理想の生活を目指すブログ

ADHDでも理想の生活を諦めません

成人ADHDが理想の生活をめざすブログ

ADHDの自尊心が低くなるのはなぜなのか?

f:id:yomocracy:20170818004654j:plain

こんにちは。よもぎです。

ADHDの方の中には、自尊心が低い方や、それが原因となって二次障害を発症する方が少なくないですよね。 私もその1人です。今日は「何故そうなってしまうのか」について書きます。

自分の子供の頃の経験や実例を挙げてみようと思いますので、ADHDのお子さんをお持ちのお母様世代にも、1つの実例として参考にしていただけることもあるかもしれません。

ADHDと自尊心

自尊心って言葉はよく聞きますが、そもそもなんなのでしょうか。

自尊心(じそんしん)とは、心理学的には自己に対して一般化された肯定的な態度である。英語のままセルフ・エスティーム(英: self-esteem)とも呼ばれる。
ここでは社会心理学における自己の概念に関して、育み維持される自己評価や、あるいは「ありのままの自己を尊重し受け入れる」態度とする。
※引用元:Wikipedia

ポイントになってくるのはこの「ありのままの自己を尊重し受け入れる」という部分ではないかと思います。

では、自尊心が低下するとどうなってしまうのか?なぜ自尊心が低下するのか?を考えていきます。

自尊心の低下で困ること

「ありのままの自己を尊重できない」すなわち「自信のない状態」では、大きく2種類の困難が生まれると考えています。

1つ目は、仕事も、恋愛も、生活のことも、どこかで「自分なんてどうせ」という気持ちが邪魔をして、好きなことができないパターン。『どうせ』と出来ない理由を考えることで、色んなことを諦めたり、手放したり、逃げてしまうことを正当化するタイプです。『言い訳ばかりの引っ込み思案』が多いと思います。失敗してこれ以上傷つくのが怖いから、自分を守ろうとしてしまう。

2つ目は、自分に自信がないからこそ見栄を張ってしまうパターン。例えば、会社で上司から怒られた時に「自分は悪くない」と主張してしまう、つい反抗してしまうといったことも自信のなさからくることが多いのです。
いわゆる『プライドが高い』と言われる人はこれに当てはまると思います。こちらも自分で自分を守ろうとしてしまう反応なんですね。

「自分なんてどうせ...」と思ってしまう人も「自分は間違っていない!」と虚勢を張ってしまう人も、自分の望む通りの結果が得られないのは明白です。どちらも自分を守りたいばかりに大事なことが見えなくなってしまいやすい状態です。当然、認知のゆがみにもつながってしまう。

Twitterなどで色んな当事者の方とお話して気付いたのは、上記どちらかのパターンで悩んでいる人が少なくない、ということです。

陥りがちな自尊心の低下パターン

ではなぜ多くの当事者が、自尊心の低下に苦しむのでしょうか。

まず、ADHD当事者は、子供の頃から自分の特性により誰かに迷惑をかけたり怒られたりする経験をしていますよね。

年齢が上がってくると、怒られたり、トラブルになったりしたことを「自分のせいだ」と感じ始めます。それも、悪意があったり自分が悪いことをしたからではなくて、自分が感じたことありのままや、悪意のない(むしろ良かれと思っている)行動がトラブルになってしまっているのです。

大人になるにつれて「周りの人と同じようにできないせいでトラブルを起こす自分」「良かれと思ってやったことが嫌がられやすい」ことを認知し、「普通になれない自分が悪いんだ」と自分を責めるようになってしまう...。

そういうパターンが多いのではないかと思います。

ADHDの子供の「悪意のない行動」

例えば、ADHDの子で小学生の頃よくありそうなのはこんなこと。私の実体験です。

・集団行動の中で、自分のやりたいことを我慢
 できずに勝手なことをして怒られる

・前日の夜に突然「明日の図工でペットボトル
 が2本必要だった」とお母さんに言って怒られる

・友達とのケンカで手加減なく正論(と思って
 いる自分の主張)を振りかざして泣かせて
 しまい、先生に怒られる


いわゆるありがちな「座っていられない」や「勉強の凸凹」についても色々あると思いますが、敢えて上記の例を出したのには理由があります。いずれも私が子供の頃の実体験で、怒られたことにより自尊心が削られていった理由の1つと感じていることだからです。

これらに共通しているのはすべて「自分では悪いことをしたと思っていない=良かれと思ってやったのに怒られた」ということです。

・集団行動の中でやりたいことを我慢できない
 →「こうした方がいいのにな」と自分が思ったから
  「こっちの方がいいよ」と言う。

・前日の夜に明日必要なものを言い出す
 →その時思い出したから言うだけではなく「前もって
  言っても忘れちゃうしな、前日に言おう」と思って
  いたから。

・友達を言い負かしてしまう
 →「絶対に自分の言っていることが正論だし、それを
   友達もわかった方がいい」と思っている。


共通しているのは、どれも『自分本位』ということです。『自分なら』こうしてほしい、こうした方がいいと思う、と考えています。『相手が』それを望んでいるかは考えていません。ある意味認知のゆがみ、という状態です。

ですが、子供ですから相手のことまで考えられないのはやむを得ないと思います。どうか「悪気があるどころか、良かれと思っている部分がある。なぜ嫌がられるのかわかっていない」、ということを信じていただけたら嬉しいです。私はそうでした。

定型の子供なら、自分本位な考えでも相手と大きくずれることが、おそらく少ないのだと思います。発達障害がある場合は、ここがきっとずれやすい。
だからこそ、周りが否定しているつもりが全くなくても、「自分の良かれと思うことは大抵嫌がられて、叱られてしまう。だめなのだ」と思い始めてしまうわけですね。

適切な躾にも、傷つく

「悪意のない行動の否定」の他にもう一つ問題があります。
これはADHDに限らないと思うのですが、子供は自分の気持ちや考えを言葉にするのが苦手です。ADHDで言語が苦手項目の子の場合、拍車をかけて困難をきたします。
そのため、親から叱られるときに「自分の気持ちをうまく言葉にできない」シーンが増えるのではないかと考えています。

私の両親は非常に躾に厳しい人達です。今となっては感謝することばかりですが、当時は本当に苦痛な日々を過ごしていました。
何より嫌だったのは「私の気持ちをわかってくれない」と感じていたことです。今になればわかります、母は私の気持ちを知ろうとしてくれていたのですが、私が上手く表現できていなかったのです。

てこでも動かないくらい頑なな私を何とか学校生活に馴染ませようと、母はあらゆる手段を使ってきました。「貴女が困るのよ」「貴方自身のためなのよ」ともよく言われていました。それでもいつも感じていたことは一つです。

「どうしてお母さんは『私がこれができないのか』を気にしてくれないんだろう。私の気持ちはどうでもいいのかな。私のことが嫌いなのかな」

宿題の先延ばしや、衝動性でおやつを食べ過ぎる、寝坊、遅刻...どう頑張っても私には『制御できなかった』事なのですが、何故できないのかを当時の私は説明できません。だから母にもわからない。そして、躾、という形で罰を与えられるので子供の私は苦しくて仕方がありませんでした。

母もきっと悩み、どうしていいかわからない中で、必死に私に寄り添ってくれていたと思います。母の言っていたことは正論ばかりです。そこに気付き、母の愛情や感謝を感じられるようになったのは、恥ずかしながら25歳を過ぎた頃でした。

友達との間でも起こりうること

ここまで、対大人・親についての例を挙げてきましたが、同じことが友達との間にも起き得ます。先程の3つの例も、小学生くらいの頃なら周りの子もあまり気にしません。
ですが、中学、高校と進学していくと「空気が読めない」「自分勝手」と疎まれていきます。

通常、親子間での喧嘩において傷ついたことなどは、友達と話して解消していくなどの発散方法があると思います。ですが、無意識のうちに「自分の本音は他人に受け入れてもらえない」と学習しているADHDの子は、友達にも心が開けなくなっていきます。

あるいは、「本音を他人に受け入れてもらえない」ことに気付かないまま、余計なことを言いすぎて周りから孤立してしまうことも。

いずれにしても、こういった人間関係の歪みは、不登校、自律神経失調症、うつ病などの二次障害につながっていってしまいやすいのではないかと思います。
具体的な病気にならずとも、大人になっても心の奥底に「自信が持てない自分」を抱えたままになりやすいのです。

自尊心を取り戻す

大人の当事者が自尊心を取り戻すためには、ひたすら「自分自身と向き合う」しかありません。セルフカウンセリングをするにせよ、プロのカウンセリングを受けるにせよ必要なことといわれています。

これは想像以上に苦しい作業です。
過去自分がつらかった出来事と、なぜそれがつらかったのかを1つずつ探っていきます。辛すぎて忘れてしまっている(記憶をしまい込んでいる)出来事もあるので、本当に根気が必要で、時間もかかります。

ただ、自分がつらかったこと、なぜつらかったのかということ、今それを客観的に見てどう思うのか...ということを整理していくと、だんだんと「自分が悪かったわけではない」ことや「自分にも悪い面があったが、それはパーソナリティとは別の問題」ということを認めていくことができます。

抑え込んでいた自分の気持ちを少しずつ出していくと、だんだんと「ありのままの自己を尊重し受け入れる」ことができるようになっていくのです。

自分は立派な人間じゃない。だめな所もたくさんある。障害もある。でも、それも自分自身なんだ。それは『悪いこと』では、ないんだ。

と、少しずつ、気付いていきます。これが、自尊心を取り戻すプロセスです。

ある意味ここからがスタート

ADHDの二次障害、あるいは抱える困難の多くの根っこに、この『自尊心問題』があるように思います。だからこそ、実はこの自尊心の回復こそがスタートラインでもあります。

認知のゆがみを解消したり、対人関係の改善にも大きく関わってくるので、そういった困り感を抱える方はぜひ、振り返って見てみてほしいなと思います。
自分で自覚していない本当の自分の姿が、意外と見えてくるかもしれません。

自分は自分のことが好きかな?自分を大事にできているかな?と、私はよく自分に問いかけるようにしています。


私の試しているセルフカウンセリングについては、またそのうち紹介したいと思いますので、興味のある方はぜひまたご覧ください。

本日もここまでお読みくださりありがとうございました😊